「信者たちはついていくだけだった」 元担当検事が振り返るオウム“暴走”のきっかけ

 6日、オウム真理教のかつての教祖・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(63)ら7人の死刑が執行された。きのう執行されたのは、松本死刑囚のほか、早川紀代秀死刑囚(68)、井上嘉浩死刑囚(48)、新実智光死刑囚(54)、土谷正実死刑囚(53)、中川智正死刑囚(55)、遠藤誠一死刑囚(58)の6人。


 松本死刑囚は、坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など3つの事件を首謀し、このほかの事件を含め13の事件で死者29人を出した人物。そもそも、オウム心理教はどこから“暴走”するようになってしまったのか。『けやきヒルズ』(AbemaTV)では、東京地検でオウム関連事件を担当していた落合洋司弁護士に話を聞いた。

 落合弁護士は特定の出来事は絞り込みづらいとするものの、1990年の衆院選に松本死刑囚と信徒ら25人が立候補、全員落選したことを、教団の暴走・武装化が始まったターニングポイントに挙げる。


 「松本智津夫は『本来は自分たちが当選していたはずなのに不正があって落ちた』と言っていた。国家に反感をもって自ら国家を樹立しようと、そういう方向に暴走し始めるひとつの大きなきっかけが衆院選の落選だった」

 その後、オウム真理教は松本サリン事件(1994年)や地下鉄サリン事件(1995年)など大事件を起こしていくが、その動きを警察はどうみていたのか? 落合弁護士によると、1989年の坂本堤弁護士一家殺害事件から警察は目をつけていたというが、なかなか解明が進まなかったこと、そうした中で松本サリン事件が発生したこと、オウム側も証拠を隠滅するようになるなど、警察が後手に回ってしまっていたことを指摘。また、警察保安当局が当時、宗教団体を組織として取り締まる対象としていなかったことが、事件を防げない背景にあったとした。


 東京地検の公安部として、信者らの取調べを行っていた落合弁護士。「出家した人はオウム心理教の教団内部のみで暮らすので、オウム心理教としての教義なり論理なりに従って動く。トップの麻原と限られた幹部が方針を決めると、下に指示として下りてくる。信者はよく“ワーク”と言っていたが、与えられたワークを何の疑問も持たずに取り組むのが務めなんだと教えられているので、上が暴走した場合に下の信者たちはついていくだけだった。それがカルトの危険性」と振り返った。

 また、東京工業大学准教授の西田亮介氏は、「世俗の論理に反する教義をもったカルト集団の恐ろしさは、教訓として1つあるのだと思う。単体の事件ではなく複数の事件に関連していたこと、それがいずれも社会に大きなインパクトをもたらしたということを思い起こす必要がある。地下鉄サリン事件を振り返っても20年以上前の事件で、若い世代だと覚えていない、知らない人もいると思う。世界のインパクトを残した事件でもあり、今振り返ってみるといろいろな教訓が引き出せるんじゃないか」と意見を述べた。

(AbemaTV/『けやきヒルズ』より)


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