孤独死したファンのために追悼ライブを開催した有坂愛海さんの想い…SNS時代のファンとの関係性とは

 11日、シンガーソングライターの有坂愛海さんが、亡くなったファンの追悼ライブを開催した。会場となった新宿のライブハウスには、イラストレーターの326氏が描いてくれたという1枚の似顔絵が飾られていた。モデルとなった男性こそ、孤独死した有坂さんのファン・おっきゃんさんだ。応援する側とされる側という関係性から、どのようにして追悼ライブを開催するに至ったのか。有坂さんを取材した。


■出会いは11年前

 ライブ前日、有坂さんの姿は秋葉原にあった。ライブイベントスペース「DearStage」に在籍、毎週のようにストリートライブをやっていた"始まりの場所"。同期には、でんぱ組.incのメンバーもいた。11年前、デビューしたばかりの有坂さんのステージを見ていた客の一人が、おっきゃんさんだった。

 「この看板は、お客さんが権利を買い、好きな子の名前を書いてPRする。ここに『有坂愛海』と書いてあるが、これはおっきゃんが4万〜6万くらいを1人で払った。一般の方からしたら信じられないかもしれないが、月に12〜15本ライブをやっているのに全部来てくれた」。

 その後、シンガーソングライターとして独り立ち。デビュー10年を迎えた昨年7月30日。有坂さん11度目のワンマンライブの直後に手術を受けることになったというおっきゃんさん。「22日退院決定」というTweetを見て安心していたという有坂さんだったが、おっきゃんさんと会ったのはこの日が最後になってしまう。「9月23日の大阪のライブにも来ると言っていた。新幹線も取ったし、チケット代が結構高かったみたいな話をしていたのに、何の連絡もなく来なかった。"あれ?何かあったのかな?"と思った」。「無事?」とTwitterで話しかけたが返事はなかった。ファン仲間の間にも、不安が広がっていった。


 「入院中も毎日SNSを触っているような人だったので。私は病状を聴いていなかったが、他のファンには"大手術で、生きて返ってこないかもね"と冗談交じりに言っていたみたいで。正直、ファンの人たちは亡くなっていると思っていたみたい。私は最後の最後まで生きていると思っていた。お見舞いの品も買っていた。母様と住んでいると聞いていたので、病状を聞けたらいいなと思っていた」。

 連絡先を突き止めるべく、それまでのメールのやり取りやファンレターに全て目を通した。当時のブログには、「10年分全部読むという途方もない作業をして、どんな時も応援されていて本当に何回来てくれたんだろうと思い返した」と綴っている。しかし、おっきゃんさんの連絡先はわからないままだった。


■孤独死していたことを突き止める

 不安な気持ちのまま年が明けた今年1月。おっきゃんさんと途中まで一緒に帰ったことがあるというファンからの情報などを元に、住所や固定電話に当たりを付け、電話をかけてみた。しかし、「現在使われておりません」のアナウンスが流れた。


 「これはいよいよやばいと思って。でもまだ希望は捨てるのは早いと思って」。思い切って、自宅と思われる住所を訪ねてみた。「着いた瞬間、表札が出ているので"あれだ"と思った。でもその瞬間に"ここには誰も住んでいないんだな"という気配を感じ取ってしまった。ピンポンを押しても鳴らなかった」。


 近所の人に尋ねると、男性が1人で住んでいたが亡くなったと告げられた。「知りたくない事実を暴いてしまったんだなという気持ちで、涙が止まらなかった。自ら亡くなったことを暴きに行ってしまったことが良かったのかという気持ちになった。曖昧なまま、"あの人いたね"ということにしておけばよかったのかなと」。

 後に判明したのは、昨年8月におっきゃんさんが大動脈解離で入院し、手術後の22日に退院したこと。28日午後10時に有坂さんのツイキャスに「もう元気だよ、おやすみ」とのコメントをしていたこと。その2日後、出社しないことを不審に思い自宅を訪れた同僚が、倒れているおっきゃんさんの姿を発見。すでに息をひきとっており、孤独死だったこと。


■僧侶も感銘を受けた「新しい追悼の形」 

 「近所のおばあちゃんが"お葬式はなかった。お墓もどこにあるかわからない"という話をされた。挨拶のしようがない。お線香をあげたり、お墓参りにも行ったりもできないので、自分のためにも追悼ライブをやろうと思った」。


 3月19日、有坂さんは、おっきゃんさんの追悼ライブを行うことをブログで発表した。情報は瞬く間に拡散、心境を綴った翌日のブログはさらに反響を呼び、普段のアクセス数の1000倍となる93万件に達し、Tweetへのいいねも4万を超えた。

 そして「おっきゃん追悼ライブ おっきゃんがいナイト」が開催された。


 献花台ならぬ"献ペンライト"台が用意され、祭壇にもサイリウムが飾られた。「お花にしようと思ったが、元気よく明るくしたかった。お花、お焼香は準備できないので、宗教的なこともあるので、こういうアイドルファンらしい感じで、思ったより綺麗でよかった」。


 午後6時30分、有坂さんの「献杯」で追悼ライブは始まった。


 「顔も広い人で性格的にも明るいおじさんだった。おっきゃんといえば有坂、有坂といえばおっきゃんの応援してるやつだ、みたいな感じ」と有坂さんが話す通り、「今回、このような追悼ライブがあると聞いて、はるばる松本から」「賛成か反対かというとどっちでもなくて。有坂さんとおっきゃんの関係性で成り立っているから開催できて、これだけの人が来るし、僕も来られたのかなと思う」と、多くのファンが詰めかけた。

 おっきゃんさんを偲んだのはファンだけではない。ライブには彼が愛した6組のアイドルやバンドも参加した。「MERRY FREAKS」のボーカル・Ma-yuさんも、「私たちもおっきゃんさん大好きだったので、"よし出るぞ!"と」、出演を快諾した。シンガーソングライターの絵仁さんも「すごく大変だったと思うし勇気がいる行動だと思うけど、行動に移して実行してくれて本当にありがとう」と有坂さんの行動力を讃えた。

 また、ブログを見て参加したというライター兼僧侶の稲田瑞規さんは「僕自身が僧侶なので、僧侶以外の人が新しい追悼の形をするということに、すごく感銘を受けた。残された人たちが集まって思い出話をするというのも、一般のお葬式ではなかなかできないところだと思うので、今回の取り組みを見ていて胸いっぱいになった」と話す。

 家族ともいえる大切なファンの死を知ってから、準備を重ねてきた3か月。ライブ中には、ファンがアイドルに向かって行う"ケチャ"を祭壇に向けて行う姿も見られた。有坂さんも『oh can you hear…?最後のラブソング』、そしておっきゃんさんが好きだったという楽曲『蒼色時計』でライブを締めくくった。


■「いつでも待ってるよ」

 「インディーズ業界では平日のライブで100人を超えることはあまりないので、彼の人柄のおかげ。"来れてよかった""自分も挨拶できたからよかった""ありがとう"というような言葉をたくさん頂けた。おっきゃん本人には聞けないが、すごく安心した」と有坂さん。


 「追悼ライブの日は全然眠れなくて、涙が止まらなかった。やっと終わったという気持ちと、彼のためにできることを全部やりきってしまって、本当にさよならなんだという気持ちで。それと同時に、やっぱりまだ信じられない気持ちもあった。今はちょっとホッとしている気持ちもある」。

 AV女優の紗倉まなは「私も一度、いつも来てくださるファンの方が大きな病気をして入院してしまったことがあった。本当に心配で、すごく気になった。でも、どこまで介入していいのか、おこがましくないか、心配されたくないんじゃないか、そんな風に色々考えた。ファンとの関係というのは、本当に不思議。でもやっぱり"大事な存在"以外の何者でもないし、一言では語りきれない」と話す。

 有坂さんは、ファンとの関係性について、「ステージとフロアには超えられない壁というか、超えちゃいけない壁があるからこそ、エンターテイメントとして楽しめる」と話す。その上で「"天国で見守ってる""空に届くように歌わないとダメだよ"とか、"そんなに泣いてばっかりいたらおっきゃんに怒られるよ"とよく言われる。でも、今でもちょっと信じられないし、"生きてるって!"というTweetを見て、"すみません、生きてました"と謝りに行く夢を毎日見る。明日行くからね、といつも通りに言ってくれるような気がしてる」と話し、「いつでも待ってるよ」とおっきゃんさんに呼びかけていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)


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