数百万円の違約金、土下座…それでもルビー・モレノを許し続けた稲川素子氏の半生

 多くの外国人タレントを抱え、スターを輩出し続けている稲川素子事務所。芸能界ではその名を知らぬものはいない有名事務所だ。


 創業者は稲川素子、83歳。142カ国、5000人以上の外国人タレントは、自ら駆け回って集めた、稲川の"財産"だ。日本アカデミー賞の受賞歴を持つ女優・ルビー・モレノも、稲川に育てられたタレントの一人だ。ルビー・モレノはこう語る。「素子さんは日本の母だ」と。


 もともとは専業主婦だった稲川が、なぜタレント事務所を設立、芸能界に飛び込むことになったのか。そこに至るまでには数奇な運命があった。


■お人好しな性格が生んだ稲川素子事務所

 昭和9年生まれの稲川は戦争体験者だ。疎開先の福岡では、長崎に落とされた原爆のキノコ雲を目撃した。病弱だった稲川は、終戦後も極度の貧血で入退院を繰り返し、慶大に入学するも中退を余儀なくされた。

 22歳で結婚、専業主婦になった稲川は、娘の佳奈子にピアノを習わせ、世界的なピアニストに育て上げた。そのことがきっかけで芸能の世界とつながりを持つことになる。


 そして50歳の時、大きな転機が訪れる。あるドラマに佳奈子がピアニストとして出演することになり、撮影現場に足を運んだ稲川。そこで偶然、ディレクターの「フランス人の香水の専門家・調合士の役が見つからないんだよな…」という言葉を耳にする。

 知り合いのフランス人に香水の専門家がいる旨を告げたところ、すぐさま「紹介してほしい」との依頼を受けた。しかし、連絡をとったところ、すでに帰国した後だった。


 「でも『もう帰っちゃいました』とは言えなくて…。自分で探さねばと思い」。


 稲川は究極のお人好しなのだ。フランス語学校の日仏学院に電話を、なんとか俳優経験のあるフランス人を探し出し、撮影現場の京都・太秦まで連れて行った。もちろん稲川自身が通訳をしなければならない。稲川が「マネジャー」になった日だった。


 そこからはあっという間だった。「"クチコミュニケーション"はすごくて、そこからどんどん広がっていったんです」。


"稲川さんに言えばたくさんの外国人を連れてきてくれる"、そんな評判がテレビ業界に広がっていった。親切心で始めたこととして、自身は無報酬で外国人のアサインを2年間こなしていた。「移動費も自分持ちでねぇ。通訳までして、それで遅刻したら怒られて…」と穏やかな口調で振り返る。


■六本木の交差点で自らスカウト

 テレビ局からは「明日までに見つけてきてくれ」という無茶な依頼も多かった。事業はいよいよ法人化しなければならない規模にまで拡大していく。それほどまでに外国人タレントの需要は大きくなったのだ。しかし、稲川のような仕事ができる人は少なく、スカウトも自分で行わなければならなかった。電話応対は義母にお願いし、ピアニストの娘まで動員した。

 「自分でスカウトに行くんです。六本木のアマンド(交差点近辺の喫茶店)に立ってジーっと見る。まずは話を聞いてもらうことから始まります」。


 「社長役の外国人」を依頼されれば、六本木でひたすらそれに見合った人を探し、声をかけて依頼する。しかも、ただ外国人というだけでは不十分、本当に役をこなせるのかを見極める、というのが稲川の哲学。


 「課長や部長役ならできそうな人ならいるの。でも社長役はなかなかいない。『社長役ができそうだ!』と思って声をかけると、オリベッティ(イタリアのタイプライターメーカー)の本当の社長さんだったりすることもあって(笑)」。

 日本人の流儀や常識は通用しない。些細なトラブルなど日常茶飯事だった。「契約書もないですからね。引き受けて来てくれない可能性もあります。明日来てくれないかもしれないと思ったら、自宅に泊めて翌朝連れて行ったり」。


 中でも最大のトラブルメーカーがいた。フィリピン出身のルビー・モレノだ。


■ルビー・モレノから訴訟を起こされたことも

 2人の出会いもスカウトだった。当時、稲川がフィリピン人を探しにいく家屋があったという。小さな4畳半の部屋に、7人がごろ寝していた。その中にいたのがルビー・モレノだった。後に、稲川の事務所が輩出した"大金星"だ。


 だが稲川は、当時を「最高に悪い時代でした」と振り返る。


 一躍スターとなったモレノだが、仕事をすっぽかすことが頻発。テレビ局からのクレームも殺到。だが稲川は、モレノを解雇することはなかった。それどころか数百万円にものぼる違約金を支払い、土下座をし、モレノの帰りをひたすら待った。


 しかし、そんな稲川を待ち受けていたのはモレノからの訴訟だった。


 「契約書がどうのこうのって言われて、弁護士の先生と法廷に行ったんです。そしたらルビーがいてね。法廷に入ったら『ルビーさんが取り下げたので何もありません』って言うんです。『根拠がない』っていうんですよ」と笑う。法廷の向こうからはルビーが手を振っていた。モレノは単に、稲川と顔を合わせるきっかけが欲しかっただけなのだ。


 稲川は、そんな破天荒なモレノを許し続けた。


 「何かをしてもらったら『ありがとう』。間違いを犯したら『ごめんなさい』。あなたからはどちらも聞いたことがない。この2つを守れるならもう一回やり直そう」と話した。モレノは机に手をついて「ごめんなさい」と謝った。初めてのことだった。


 「それでまた始めて今に至ってますけど、それから何度もすっぽかしてるんですけどね。もうどうしょうもない子です」。もはや達観した表情だ。

 モレノ本人はどう思っているのか、話を聞くと「わかってます。あたしの性格は面倒くさくなったら何も考えない。やりたいことやっちゃう。何も考えない。反省してます。素子さんとの関係は運命なのかな、日本の母の感じがしますよね。素子さんかわいいもん」。


■慶応大学に65歳で再入学

 今や、稲川の仕事はタレント事務所の社長だけにとどまらない。河口湖オルゴールの森美術館の館長や、公益財団法人日本ボールルームダンス連盟(JBDF)の会長を務める。

 さらには、中退した慶応大学に65歳で再入学、東京大学大学院にも進学した。


 モットーは「精一杯は万策に勝る」。何事も一生懸命に取り組み続ける稲川は、83歳を迎えたこれからもさらに走り続ける。(AbemaTV/「偉大なる創業バカ一代」より)

経済に強い芸人ナンバーワンの異名をとるキャイ~ン天野ひろゆきと “神ボディ”アナウンサーの伊東紗冶子が司会を務めるヒューマンビジネス番組! この番組は、他人が真似できない独特な経営手腕で、“変人”“バカ”と呼ばれながらも、 強い信念を貫いて、一代で会社を大きくした「創業者」をスタジオにお招きして、 非凡な体験談からタメになる教訓を聞きだしていきます。 第15回目となる今回は、テレビ業界で外国人タレント専門の事務所を初めて創業した 「稲川素子事務所」創業者、稲川素子社長が登場! 「世間知らずのお嬢様育ち」だった普通の人妻が、 外国人専門の事務所創業にまで至った仰天エピソードや、 学生時代に実際にあったというマッカーサー元帥との交流…。 「元祖お騒がせ外タレ」ルビー・モレノとの不可思議な関係まで、 その激動の半生と成功の秘訣を、スタジオで赤裸々に語ります!

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