"アルバイトにもボーナス・退職金"  富士そば創業者が明かした「母の教え」

 首都圏の主要駅を降りると必ず目に止まる、「名代 富士そば」の看板。国内116店舗、海外にも東南アジアを中心に10店舗を出店(2017年1月時点)する、立ち食いそばチェーン最大手だ。今や女性客まで取り込んでいる「富士そば」は、一人の男の手によって作り上げられた。ダイタングループを率いる丹道夫(たん・みちお)会長、その人だ。


 現在81歳になる丹だが、経営への意欲は衰えることを知らない。「これからはいかに安くて美味しいものを出すかが勝負。文化水準が上がっている以上、求められる味の水準も上がっていく」と語り、クオリティチェックにも余念がない。各店舗を自らの足で回る、その代金は自腹だという。


 ダイタングループは従業員1100人の大企業だが、11社に分社化されており、すべての会社が「同じ仕事をしている」というから驚きだ。だが、この分社化こそ「売上や店舗増加の最大の要因」と丹は豪語する。


 「店舗数が増えれば増えるほど、社長1人では管理が行き届かなくなる。そこで分社化し、会社ごとに担当する店舗数を決め、管理・運営を徹底させていく」。


 元々は不動産屋だったという丹が、いかにして”駅そば”とめぐりあい、一大チェーンを作り上げていったのか。その裏には、波乱万丈の人生が隠されていた。


■きっかけは「新潟のとある駅で見かけた乗客の姿」

 「仕事がなかったから、東京に行かざるをえなかった」。


 1935年に愛媛県西条市の300人ほどの集落で生まれ育った丹。職を求め幾度も上京するが、何のつてもなかった。なんとか砂利運搬などの肉体労働に就くが、父の健康状態の悪化や「南京虫に噛まれた」といったトラブルでどれも長続きせず、3度も故郷に戻った。


 しかし、4度目の上京で転機が訪れる。給食センターで働いていたところ、知り合いから弁当屋の共同運営をもちかけられた。これが当たり、弁当が1個40円で買うことができた時代、月収は60万円に跳ね上がった。


 しばらくすると今度は別荘地の販売に誘われる。これも高度経済成長の波に乗って売りまくり、月収500万円を稼ぎ出すまでになった。


 「まるでこの世のカネを全部手にしたかの様な気持ちだった」。


 だが、浮かれ騒ぐ仲間たちをよそに、「この流れは長く続かない」と、丹は冷静だった。


 そんな時のこと。旅行で訪れた新潟のとある駅で、わずかな停車時間に乗客たちがホームでそばを食べているのを目にした。


 競うようにそばをすする姿を見た丹。「新潟でもこれほどせわしなく食べているなら、東京でも流行るのでは?」と考え、蕎麦屋という業態を見つめ直したという。


 こうして、不動産業からそば屋へと、思い切った転身を果たし、1966年から首都圏を中心に「名代 富士そば」の展開を始めた。


■出店のための立地条件は「前を通る人が"黒色ばっかり"」であること

 富士そばヒットのきっかけとなったのが、24時間営業。「東京には色んな人がいる。中には絶対に寂しい思いをしている人もいる」と直感した。かつて東京で職にあぶれ、野宿した経験が生きたのだ。


 丹の予想どおり、客が殺到した。特に足を運んでくれたのは、タクシードライバーたちだった。当時、24時間営業をしている店舗は、そば屋はもとより、コンビニエンスストアもなかった。深夜に本格的なそばが食べられるとあって、あっという間に店舗は拡大していった。


 しかし、むやみに店舗を拡大したわけではない。出店にあたって何より意識したのが「立地」だったという。


 「店の前を通る人が(ビジネスマンの来ているスーツの)"黒色ばっかり"だったらそこはOK。赤や黄色が目立っていたら、女性が多い証拠。そこはアカン」。立地で目立てば広告宣伝を打つ必要もなく、年間の宣伝費もゼロで済むからだ。


 もちろん、“味”にも徹底的に力を入れた。特にこだわりを持つのが、かつおだしベースのつゆだ。「そば屋の店員が見に来て『うちの倍は入れている』と驚いた」という逸話があるほど、かつおだしを入れる。24時間の営業中に味の”ブレ”が出ないよう、すぐに新鮮なつゆを作ることのできる機械を全店舗に設置している力の入れようだ。


 出店戦略と味の両輪を武器に、1人でここまでグループを拡大させた丹だが、そこに威圧的な雰囲気はない。むしろ柔和で、どこまでも発想は柔軟だ。社員の意見にも耳を傾け、メニューは毎年15%も入れ替える。


 新メニューは社員からの応募で、原価計算さえ合えば基本的には「いいぞ、出せ」と許可を与える。時には、そばの上にトーストを乗せたものやフライドポテトの乗った「ポテそば」などの”変わり種”も登場する。ヒットを出した社員には、もちろんしっかり報酬を出す。


■「芸者だった母が言ってくれたことは間違いないんです」

 丹のこうした柔軟な発想は、芸者だった母の言葉が大きく影響を与えているという。


 「利益は独り占めしちゃダメだ。自分だけで蓄えていちゃ大きくならない」という母の教え。これを経営方針にも反映させ、アルバイトのスタッフにもボーナスや退職金が存在する。


 「ブラック企業とか話題になってます。一方富士そばは”ホワイト企業”とか言われるけど、やっていることは昔からまったく変わらない。母が言ってくれたことは間違いないんです」と語る目はどこまでも真っ直ぐだ。


 現在81歳の丹。衰え知らずの秘訣は独自の健康法にある。毎朝6時25分からのラジオ体操は欠かさず35年以上続けている。また「肺を活性化させるため」として、ストローに綿棒を入れた「オリジナル吹き矢」を10回飛ばすのも日課だ。


 健康でも経営でも「何事も続けることが大切」と語る丹の経営哲学は、「好きになることは簡単です。でも、みんな途中で辞めちゃう。好きだけでは成功しない。その陰には才能・努力がいる」。やはり”継続は力なり”なのだ。


 丹の著書の表紙にある、「儲」の字。分解すると、人を信じる者と読める。儲けるとは、人を信じること。部下を信じてやってきた。それが丹の”商いのコツ”なのだという。(AbemaTV/「偉大なる創業バカ一代」より)


※次回、26日(日)20時〜「偉大なる創業バカ一代」は、負債400億から奇跡の復活を遂げたSYホールディングス会長・杉本宏之さんの物語をお届けします。

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