半年先まで予約で埋まる話題店「肉山」、創業者の豪快起業エピソード

 東京・吉祥寺。ここに、半年先まで予約がいっぱいの”赤身肉”専門店がある。駅から徒歩10分、住宅地の入り口という立地条件。しかもメニューは5000円のコースのみ。それにも関わらず、客足が途絶えることはない。


 その店の名前は「肉山」。平日の昼時に訪れると、評判通り大勢の客でごった返しており、中には「30回くらい来ている」という常連客もいた。


 人気の理由は「味」だけではない。豪快に焼き上げる、ゴロリとした赤身肉の塊の「量」もその一つだ。「肉山」の代名詞は「赤身肉のコース」だ。牛、豚、馬、時期によっては鹿の肉も入る。店名の通りの"肉の山"だ。


 「イチボだろうがなんだろうが、美味しかったらええやん。その日一番美味しい肉を出してます」と豪快に笑うのが、創業者の光山英明、46歳。同業者をして「男気がある」「豪快」と言わしめる光山の人となりがメニューにも反映されている。肉好きたちは、肉山に足を運ぶことを"登頂"、残さず食べることを"下山"と呼ぶ。


 押しも押されもせぬ有名店になった「肉山」の創業者・光山の「謎の経営哲学」とは。


■フランチャイズの店長たちは元常連客

 光山は、高校時代には全国ベスト8という成績を残した高校球児だった。大学でも野球を続け、卒業後は会社員になるも、ほどなくして脱サラし、32歳で飲食の道へ進んだ。わずか8席の店舗から始まったホルモン店は約15年の間に直営店1店舗・フランチャイズ53店を数えるまでに拡大した。


 フランチャイズの店主の大半は、もともと常連客だった人たちだ。フランチャイズ店の場合、売上の割合に応じて金額が決定されることが多いが、光山はそれを採用せず、自身へのバックの金額は一定にしているという。


 「一定の金額であれば、自分の取り分が多くなるように考えるじゃないですか。努力をする。でも、売上の比率にしちゃうとごまかそうとすることもある。そのごまかしを防ぐために、カメラやポスレジとかを導入しないといけない。それってしょうもない。(独立したら)絶対給料は倍にはなります」。

 飲食の世界で身を立てようとする人を信頼し、応援する。中目黒の有名店「小野田商店」店主の小野田さんは、今でも光山のことを「日本一の食いしん坊です。そして男気もある。師匠です」と慕っている。


■焼肉店のノウハウ本と「エア接客」で開業

 今でこそ独自の経営哲学を元に舵取りを行っているが、もともとは飲食業と縁もゆかりもなかった光山。「酒の場が好きなんです。料理人やシェフになろうとは思っていなかった」といった感覚で、仕込みの手間が少なく、最終的に客が調理をする「ホルモン屋」という業態に狙いを定めた。しかし、脱サラして、右も左もわからない状態からのスタート。「店を開こうにも何をすればいいかわからない」状態だったという。


 どうすればいいか悩んでいる時、焼肉店を開くためのノウハウが書かれた『焼肉屋』という本に出会う。


 「当時カネがなくて。2800円もするこの本を買おうか悩んだ」。迷った末に購入したこの本が意外にも役に立った。


 「本の通りやったんです。酒と肉の仕入れのこと以外は全部この本から学んだ」。例えば排気管のダクト。光山は「ダクトが必要という発想すらなかった」と振り返る。光山が調べてみると、当時は天井から鉄板に向かって降ろされる「傘型」の大型ダクトが主流だった。だが、その本に載っていたのは蛇腹の筒型ダクトだった。「これならカウンターのスタイルでもホルモンが焼ける」。食い入るように読み込み、オープンに向けて前進していった。


 接客も独学で学んだ。当初の計画では「大規模チェーン店でアルバイトをしてノウハウを学ぼう」と思っていたが、すでに32歳になっていた光山は、なかなかアルバイトの面接が通過できない。仕方なく「エア接客」で学んだ。「工事中の店舗の中で1人でやってみてね…。"はい、ハラミですね!"、"生2つお待ち〜"って、ずっとイメージして」。


 2001年の狂牛病騒動がまだ尾を引いていた時期。ホルモン屋には空前の大逆風が吹いていた。光山は「それでもやるしかなかった。確かに逆風だったけど、結果的には"チャンス"やった」と振り返る。


 逆風によって、最高級のホルモンが投げ売り状態にあった。「今、1キロ3000円で仕入れているホルモンが、1キロ300円くらいやったんです。タダ同然みたいな値段でね。これやったらどうやってもうまくいくと踏んだ」。


 こうして2002年11月、念願の第1号店、ホルモン酒場焼酎家「わ」のオープンにこぎつけた。創業当時から、今の「肉山」まで一貫しているのはメニューも値段も一律であるということ。「わ」では、面倒だという理由で、すべてのホルモン・ドリンクメニューを500円で提供した。安さもさることながら、「焼酎ブーム」も光山を後押しする追い風となった。


 「当時は焼酎グラスいっぱいに入っていないのに1000円以上取る店もあって。他の店がボってたんですわ。うちの店は『魔王』でも、なみなみ注いで500円ですから。そりゃ焼酎好きが押し寄せてきましたる。酒が進めば欲しくなるのはつまみだ。酒の売上が、ホルモンの売上を引っ張るように伸びていく。そして、そのホルモンは安くて美味い。狂牛病騒動が収まるにつれ、いつしか「酒も肉も安くて旨い店」という評判だけが残っていった。


■大切なのは「すぐやる!」

 ホルモン屋が軌道に乗って10年。2012年にオープンさせた「肉山」には光山の人柄を慕って多くの客が足を運ぶ。中でも目立つのが店の壁にずらりと描かれた有名漫画家たちの「豪華すぎる落書き」だ。


 『カイジ』の福本伸行氏、『殺し屋1』の山本英夫氏、『ブラックジャックによろしく』の佐藤秀峰氏などが足繁く通っていることが伺える。


 「45歳で借金を背負うより、32歳で借金したほうがすぐに返せる。失敗は若うちにしたほうがいい」。


 焼肉の焼き方もわからない。ダクトが必要かどうかもわからない。それでも「まずやってみる」ことの大切さだ。豪快にして大胆な行動力で成功を収めてきた光山。強運の持ち主、と片付けることもできるかもしれない。だが、「やらなければ何も始まらない」ことだけは確かだ。


 光山は起業の軌跡を振り返り、最も大切な要素として「すぐやる!」という言葉を挙げた。(AbemaNews「偉大なる創業バカ一代」より)


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