元祖グラドル、アグネス・ラム写真集発売! 蓮舫議員との意外な繋がりとは?

双葉社ホームページより


 1月20日に発売されたアグネス・ラムの写真集『1974 Memories』は、当時18歳だった彼女を撮影した写真フィルムを、最新技術で鮮やかに再現した復刻版で、発売前から往年のファンたちの間で話題を集めていた。写真集に使用されている写真は、写真家・池谷朗が撮影、保存していたもの。カレンダー用にハワイで撮影したポジフィルムが約30本発見され未発表カットも多く含まれている。デビュー間もないアグネスの瑞々しい魅力がつまったファン待望の一冊だ。

 

 ハワイのオアフ島生まれのアグネス・ラムは、中国人の父親とハワイ人の母親をもつ4人姉妹の末っ子で、高校時代にミス・インターナショナル・ハワイに選ばれたが、資格が18歳に数か月足りず、正式な受賞には至らなかった。地元の高校を卒業後に、日本の映像撮影関係者にスカウトされモデルとして活動を始めたアグネスは、1975年に初代クラリオンガールに選ばれる。同年のライオン製品のCM出演が評判となり、トヨタ、旭化成、グリコ、資生堂など大手企業のCMに出演。


 “アイドルはまず歌手活動がメイン”が常識だった時代に、アグネス・ラムはグラビアを中心とした芸能活動を行い、のちに元祖グラビアアイドルと呼ばれるようになった。「平凡パンチ」、「週刊プレイボーイ」、「GORO」などのカバー・グラビアページに多数登場した他に「週刊読売」など一般週刊誌のカバー表紙も飾った。愛くるしいルックスに不釣り合いな豊かなバストのアグネスは、小麦色の肌の楽園の妖精として若者の間で大人気となり、「アグネス・フィーバー」で一世を風靡した。


 アグネス・ラムが世に出るきっかけとなった「クラリオンガール」は、カー・オディオ・メーカーの「クラリオン」が毎年選出していたキャンペーンガール。著名タレントを多数生み出し芸能界デビューの登竜門といわれていた。

 

 1979年に6代目クラリオンガールに選出され芸能界デビューした烏丸せつこは、デビュー直後にCF、ポスター等でセミヌードを披露。日本人離れしたプロポーションで当時のグラビアを席捲した。1980年には、映画「海潮音」に出演し女優としてのスタートを切る。同時期に五木寛之のベストセラー小説を映画化した「四季・奈津子」の主役・奈津子役にも抜擢され、いきなり初主演を果たす。同作品ではヌードも辞さない大胆な演技で話題になり、以降、「マノン」、「駅 STATION」などの映画に出演した。


 1983年、映画「アイコ十六歳」への出演で芸能界デビューした宮崎ますみは、1985年度の第11代目クラリオンガールに選出。世間に広く知られるようになり、映画「ビー・バップ・ハイスクール」の三原山順子役でも人気を博した。その後出演した映画「XX 美しき凶器」や「屋根裏の散歩者」ではヌードとなり、また写真集『XX-HOLY BODY』、『XXX』では、ヘアヌードも披露して話題となった。


 現在の内閣府特命担当大臣で、民進党代表でもある政治家の蓮舫議員もクラリオンガールだった。1985年、青山学院大学在学中に1988年度の第14代目クラリオンガールに選ばれ、1987年に発売されたビデオ「ナチュラルな妖精誕生 - Ren Ho」には初々しい水着姿が収録されており、1988年の写真集『Ren Ho』では、ハイレグ水着や手ブラ、セミヌード姿などセクシーショットを披露している。


 1988年、星野裕子の芸名でグラビアやイメージビデオでデビューし、ほどなく星野麗子に改名、1990年の第16代クラリオンガールに選出された際に再び改名した、かとうれいこ。B86(Fカップ)・W58・H84のグラマラスボディを武器に水着グラビアにおける確固たる地位を築き、1993年頃まで数多くの写真集・イメージビデオが発売、日本を代表するグラビアアイドルとなった。


 その後、1992年に大河内志保(第18代)、1993年に立河宜子(第19代)、1995年に原千晶(第21代)など多数の著名タレントを輩出してきたクラリオンガールだが、後年はグラビアというよりはタレントとしての芸能活動を応援する側面が高くなり、水着審査が廃止された。そして、クラリオンが日立製作所に買収された2006年、第31代の尹うりの選出を最後に、約30年に渡る歴史に幕を閉じた。


 2000年代に入り、会社の経営方針の見直しなどから水着キャンペーンガールから企業のイメージガールへ変更したり、その活動自体を取りやめたりする企業が多くなってきた。一つの時代は終焉を迎えたが、若かりし頃の彼女たちの輝きは今も色褪せない。 

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