元・東大生32歳がなぜ手取り8万円を受け入れたのか? 「親友の死→うつ」の衝撃人生

 日本で最も有名かつ、入試難易度が高く、歴代総理大臣やキャリア官僚、有名経営者など数々のエリートを輩出している東京大学。他の大学と比べて、卒業すれば人よりも高収入かつ、安定した生活が送れると言っても過言ではない。しかし今回紹介する山内昇さん(32歳・仮名)は大学4年生のとき、自らの意思でそのステップから降りた。

 なぜ彼は東大をやめたのかについて、彼に話を聞いた。以下がその時のやりとりである。


 ◆友人の死をきっかけに東大を中退


 ――高校卒業後、なぜ東京大学に入学したのですか?


 山内:……実は中学時代にひどいいじめに遭っていて。地元一の進学校に通っていんたんですが、その分いじめの内容も陰湿だったので自殺を考えることも何度かありました。鬱々と過ごしていた時に、ある日本の哲学者の本に出会ったんです。彼の考え方に感銘を受け、そこから「死ぬよりも哲学を学びたい」と思って、東京大学に進みました。


 ――高い志を持っていた山内さんが、なぜ中退することに?


 山内:自分が学びたかったことと大学の授業が一致しなかったことが大きな原因です。哲学を学ぼうと息巻いていたのに、僕が本で学んできた哲学と大学で教えてくれる哲学はまったく違う内容でした。「俺はいったい何をやっているんだろう」という気持ちが強くなって、大学の外で自分が情熱を燃やせるものを探したんです。それがアートでした。


 ギャラリーで働いたり、そこで人生で無二の親友とも出会ったりもしました。将来、「一緒に仕事ができたら嬉しいな」と新しい夢が膨らみかけた矢先、その彼が交通事故で亡くなってしまったんです。あまりにもショックで10日間食事も睡眠も出来ませんでした。心神喪失が続いて、もう何にもやる気が起きなくなってしまって。ギャラリーの仕事も辞め、大学4年の時に中退しました。


 ◆中退後、うつ病になってしまった


 ――中退してからは、何をしていたんですか?


 山内:友人の家を間借りして、日雇いのアルバイトや塾講師をしながら暮らしていました。でも、それだけじゃなかなか安定した収入には繋がらなかった。友人に申し訳ない気持ちもあったので、住み込みのバイトを始めることにしたんです。

 でも、度重なる環境の変化と生きがいを失ったことから、うつ病になってしまって……。両親も僕のことを見かねて、実家に帰るよう勧めてくれました。それで2014年はずっと実家に引きこもっていました。


 ――状況は改善しましたか?


 山内:やりたいことが見つかったという点で、良くなったと思います。以前よりも両親との会話も増えたし、家族関係も良くなった。以前は僕に対して、文句ばっかり言っていたので(苦笑)


 ――現在は何をしているのですか?


 山内:個別指導の塾講師をしています。それで、休みの日には音楽を作ったり、芸術の展覧会に行ったり。手取りも8万円そこそこしかなく、これから300万円の奨学金を返していかなければいけません。それでも、いちばんひどかった時期よりはマシだと思います。


 ――何か目標や夢は見つかりましたか?


 山内:……こうして人生を振り返ると、自分を支えてきてくれたものは哲学や芸術、音楽なんです。そこに対しては、ものすごく探究心が働くし、やる気も湧いてきます。だから、死ぬまでには自分が納得のいく何かを残したい。


 ◆「東大生」という「レッテル」に悩む意味はない


 ――でも、10代から20代前半までは、いわゆる「エリート街道」を進んできた山内さんです。後悔はないわけですか?


 山内:中学時代に哲学を学びたい、哲学者を目指そうと思っていた時点で「人生を半分降りている」と思ったんです。もともと、中国の故事とかも好きで、隠者にも憧れていました。人と比べようといった競争心もないので、あまり気にしていません。


 ――「東大生」という経歴を持って今のような生活をしていると、まわりから変な目で見られることもあるのでは?


 山内:ええと、それはありますが、仕方ないんじゃないでしょうか。それに他人から貼られたレッテルに悩んでも良いことはあまりありません。僕の好きなある哲学者の言葉があります。“真実は百面相である”と。つまり、真実とはいろんな姿をしていて、見る角度によって違うんです。レッテルというのは、ひとつの姿にしか焦点を当てているに過ぎません。それに悩むなら、一度いろんな角度から自分を見つめ直してみたほうがいい。そっちのほうが自分に対する理解が深まると思います。

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