"2件のいじめは氷山の一角" 福島から避難した子どもたちは今

 福島第一原発事故の影響から家族と新潟市に避難していた小学4年生の男子児童に対し、担任が名前に“菌”をつけて呼んだため、一週間以上学校を休んでいると報じられている。

 新潟市教育委員会は2日の会見で「学級担任の不適切な発言によって、登校できない事態を招いたことを重く受け止め、大変申し訳なく思っております。深くお詫びいたします」と謝罪した。


 教育委員会によると、男子児童は4月頃から同級生によるいじめを受けており、6月に入って担任に「バイ菌のような汚いもの扱いをされていて、嫌だ」と相談。担任は男子児童の同級生を注意したが、2学期に入ってもいじめがなくなることはなかったという。


 そして先月初旬、男子児童と保護者はショックな事件が起きていたことを知る。


 それは福島から横浜市に避難した少年がいじめを受けていた問題で、「今まで何回も死のうと思った。でも、震災でいっぱい死んだから、辛いけど僕は生きると決めた」という内容の手記が報道された。


 少年は新潟の男子児童と同様、避難先の小学校で3年もの間、 “菌”をつけて呼ばれたり、「東京電力から賠償金をもらっているだろう」と、同級生にゲーム代等の支払いを強要されたりするいじめを受けていたという。


 報道を見た男子児童の「僕と同じだ」という発言に保護者はショックを受け、「先生に直接相談した方がいい」と薦めたという。そこで17日、男子児童は担任に「嫌がらせが続いている」と改めて訴え出た。


 しかし、そのわずか5日後、なんと担任自らが男子児童の名前に“菌”をつけて呼んだというのだ。


 男子児童の保護者はその日の様子について「自宅に戻ってから明らかにいつもと様子が違って、普段明るい子であるのに口数も少なかった。ご飯を食べながら『何でもいいから話してごらん』と言ったら、『実はこういうことがあって、明日から学校にできれば行きたくない』『学校に行けない』と言われた」と説明する。


 教育委員会によると、担任は当初「悪意はなかった」と釈明。クラス内では、名前のあとにカタカナの“キン”をつけることが流行っていて、担任はその意味での“キン”だったと説明した。現在は深く反省し、児童と保護者に謝罪したいと言っているという。


 震災から5年と9ヵ月。福島から避難した子どもたちはいまどう過ごしているのだろうか。福島県富岡町から東京都内へ避難した市村高志氏に話を聞いた。

 市村氏はNPO法人の理事長として、各地で避難生活を続けている人々の声に耳を傾け、セミナーを開催するなどして、ふるさとに戻るための支援を続けている。


 市村氏にまず「今回の報道について率直にどう感じたのか」と聞くと、「こういった話は色々なところで聞くが、それでも氷山の一角で、表面化していない事件が多くあると感じる。どんな子どもでもこういった経験はしているはず。」とコメント。「小さい相談は無数に出てきている。すぐに思いを伝えられる子どももいれば、なかなか伝えられない子どももいる。今回の新潟の男子児童も、横浜の報道を見てやっと、といった部分もあると思う。横浜の少年の行動(手記を書いたり等)は勇気が必要なもので、もっと褒め称えられるべきだと感じる」とした。


 男子児童の担任の問題発言や釈明に関しては「守ることが教師の本質であるべきなのに、なんと表現していいのか分からない」と苦言を呈した。


 一方、原発事故に関するいじめをしてしまう子どもたちの心境については「実際にあれだけ衝撃な事件の映像を見てしまった子どもたちが、正しい理解で当事者と接するのは難しい話ではあると思う」とコメントした。


 2件のいじめ問題の被害者のように、震災から5年以上が経過した福島県では、未だ故郷に戻れない人は数多く存在する。


 国は帰還政策を着々と進めており、今年までに5つの地域で避難指示を解除した。しかし、「本当に安全なのか不安」「戻っても仕事がない」「避難先の方が便利」等の理由で住民は1割程度しか帰ってこなかった。ピーク時には16万人に達した避難者数だが、今でもその半数の8万人以上が避難生活を続けている。


 避難者が減っていかない一番の理由を市村氏に尋ねると、「やはり原子力発電所の実際の状況に対して不安や、目に見えぬ“汚染”への不安である」と説明してくれた。


 当初は福島第一原発から20km圏、30km圏と二つに分けられていた避難区域。一カ月後、放射線の国際基準を参考に3つに分けられた。ただし放射線量が高い地域は完全な同心円状になっているわけではなく、飯舘村のように30km圏外であっても計画的避難区域に指定されている場合もある。


 当面帰宅が難しいとされる“帰宅困難区域”。


 許可がなくても出入りは自由だが、住むことも泊まることもできない“居住制限区域”。

 避難の指示は出されているが、住民が戻れるよう環境が整備される“避難指示解除準備区域”。

 市村氏の自宅がある富岡町は、これら3つの区域が混在している。

 富岡町の現状は「日中は作業している人も多く、除染活動や瓦礫の撤去等、避難解除を目指して動いていて、言い方は悪いかもしれないが、地域はにぎわっている」と説明。しかし「かつてのような生活を送ることができるまでどれだけかかるのか」と質問すると「それは、不可能といった方が正しいかもしれない。震災によってコミュニティが分断され、破壊されている。復興感というか、人々の思いを大切にしていくことが重要だと感じる」と明かした。


 東日本大震災から5年以上が経過した。「被災」はまだ続いていることを肝に銘じなければならない。

(C)AbemaTV

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