「死ぬまでキン肉マンを描いていく」 Webで連載を続ける、ゆでたまご先生の"決意"

 1980年代に大ブームとなった『キン肉マン』が現在もWeb上で連載中であることを御存じだろうか。

©ゆでたまご / 集英社

 『キン肉マン』は原作・嶋田隆司氏と作画・中井義則氏の合同ペンネーム『ゆでたまご』によって1979年~86年まで『週刊少年ジャンプ』で連載され、後にアニメ化もされた、格闘漫画の金字塔だ。


 人間を超える力を持つ“超人”である主人公、「キン肉マン」ことキン肉スグルが、「テリーマン」や「ロビンマスク」、「ラーメンマン」といった仲間たちと力を合わせ、強敵とリングの中で戦いながら成長していく物語だ。若者から年配まで、ファンの年齢層は幅広く、街角では


 44歳の男性「子どものときに日曜日に観ていました。今でもカラオケでキン肉マンの歌を歌います。元気が出るから」。

 28歳男性・29歳男性「夕方5時からの放送で見ました。涙あり、笑いあり。泣くところが意外とたくさんありました」

 51歳男性「当時牛丼の店に入ることはみなさんあまりなかったと思うんですけど、キン肉マンを見て行くようになりました。“牛丼一筋”っていうフレーズでみんな食べるようになりました」


 といった声が聞かれる。


 そんな『キン肉マン』の原作担当である嶋田隆司氏に話を聞いた。

 連載が始まった当時は18歳だったという嶋田氏も、現在56歳。

 ©ゆでたまご / 集英社


 「中井君は小学校の同級生で、最初は別々の漫画を描いていた。その後、小学校から構想を練っていた『キン肉マン』を一緒に描こう、ということになった」と、作画担当の中井義則氏と一緒に活動することになった経緯を説明した。


 “キンケシ”という、『キン肉マン』のキャラクターをかたどったアイテムも大ブームになった。


 嶋田氏は「アニメが始まる前から商品が出ていた。当時はキンケシの存在を全く知らなくて、近所のおもちゃ売り場に行くと、子どもたちが長蛇の列をつくっていて、『何に並んでいるんだろう』と思ってみてみると、キンケシだった」と当時のブームを振り返る。


 『キン肉マン』の連載が終了した1986年、「描ききった」という満足感、達成感があったという。その後『闘将!!拉麺男(たたかえ!!ラーメンマン)』をはじめ、他の作品を描いていた嶋田氏には、『キン肉マン』はもう描かないだろうな、という気持ちがあったという。


 しかし、週刊プレイボーイの編集者から「キン肉マンをもう一度書いてくれ」と言われ、一度は断ったものの「キン肉マンの息子の話はどうか」との提案に、1998年~2011年にかけて『キン肉マンⅡ世』を執筆。


 およそ20年のブランクにもかかわらず、読者からの反響は大きかった。「子どもたちは待っていてくれたのか」と気づいたという。


 2011年、再び「描ききった」と思った『キン肉マン』の続編の執筆だったが、今度はWeb上で再開することになった嶋田氏。その裏側には東日本大震災の影響で、キン肉マンが読みたくても雑誌が届かないところがあることを知ったからだという。


 嶋田氏は「Web上だと、配信した瞬間に全世界にキン肉マンが届く。求められる以上、死ぬまでキン肉マンを描いていくつもり。これからも読んでいってほしい。」とコメントした。


 世代を超えて愛され『キン肉マン』をこれからも読み続けることが出来るというのは、ファンにとって、これ以上うれしいことはないだろう。


(C)AbemaTV

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