長崎 原爆「市電が黒焦げだった」被爆者男性の壮絶すぎる体験談

8月9日、長崎市は71回目の「原爆の日」を迎え、爆心地近くの平和公園で平和祈念式典が行われた。田上富久市長は、平和宣言の中で「核兵器のない世界」の実現に向け、「英知の結集」を呼びかけた。

同日の「AbemaPrime」(AbemaTV)ではこのニュースを取り上げ、実際の被爆者や、原爆症と同等の症状が出ているのに被爆者と認められない「被爆体験者」その支援者など、さまざまな視点から意見を取り上げた。


“入市被爆者”の語る当時の惨状

スタジオには原爆が投下された1945年8月9日当時10歳だった入市被爆者(原爆が落とされて14日以内に長崎市内に入った被爆者のこと)の伊藤雅浩さんを迎えて、当時の様子を語ってもらった。


爆心地から20kmの距離にいたという伊藤さんは、弟と水遊びをしている途中に空の向こうが光るのを見たという。

伊藤さんは「『向こうでピカーっと光ったばい!』と言ってたらしばらくしてたらドーンとした衝撃がきたんです。直線では15kmくらいで、ピカからドンまでちょうど30秒くらいで、(当時は)耳と目を抑えてうつぶせになりなさいと言われていて、伏せていた。しばらくして西の方から白い雲がモクモクとわいてきた。白い雲からピンク色の筋がのびてきて、きれいだなと思って眺めていたら空を埋め尽くしました。信心深いおばあちゃんが『おてんとさまが落っこちてくる』と怯えていた」と投下直後の様子を語った。


その後、伊藤さんは降ってきた物の中に「長崎市駒場町」といった文字があったことから長崎が被害に遭っていることを知り、市内の女学校に通う姉や工場の人の安否を知るために入市し、被爆したのだという。


 「1時過ぎには長崎市に入っていました。焦げた匂い、歩いている人がケガしているかわからない。汚れているというか、くたびれた様子で歩いていた。街の中は微塵のガラスの破片でいっぱい。当時はガラスにタテ・ヨコ・ナナメに障子紙を貼っていたけれど、そんなものの効果は全くありませんでした」(伊藤さん)


伊藤さんは「辺りはまるで、ダンプカーや戦車が通ったみたいになっていました」と話す。さらに当時の記憶をこう伝えた。


「長崎駅の前には市電が黒焦げになっていて、乗っていた人は全員即死だったんだろうと思います。防火用水にはケガをした人がずっと集まっていて、通る人に『水ばくれんね』と言っていたのですが、誰一人として水をあげようとしなかった。家はすべて倒壊していて歩けず、国鉄の線路を歩くしかありませんでした」(伊藤さん)


伊藤さんは原爆投下当時の風景を克明に伝え、その壮絶な話にスタジオは静まり返っていた。 

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